縄文人立話

縄文人A、Bのたわいのない立話。ちょっと立ち聞き。

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君の名は。と、シンゴジラと縄文時代

以下ネタバレです

縄文人A:お前、あの田舎に彗星が落ちる映画見て泣いてただろ。
縄文人B:『君の名は。』だろ! そんな言い方するやついねえぞ! 間違っちゃいねえけど。
A:この映画、クライマックスが多すぎない? そのたんびにflumpoolがジャーンってかかって、
B:RADWIMPSだよ!
A:小さめとか中くらいのクライマックスが多すぎて、本当のクライマックスがあんまり高まらないんだよ。本来は高まるはずのレミオロメンも最後には慣れちゃって。
B:RADWIMPSだよ!
A:でback numberが…
B:RADWIMPSだよ!ずいぶんその辺のバンドに詳しいな、お前!
A:はは、じょうだん、縄談。縄の談と書いて縄談ね。
B:うるせえ! 毎回毎回、腹立つんだよ。
A:いやいや、すごいよかったよ。正直もうちょっとで泣きそうだったよ。『君の縄。』
B:『君の名は。』だよ! ったく、こっちは号泣してんだよ。何がもうちょっとで泣きそうだよ。大傑作だろ。泣け!
A:傑作かどうかはわからないけど、縄文映画だったのは確かだな。
B:何度も言うけど「縄文映画」って誰も知らねえ概念だからな。でも確かに巫女が出てきたりしたからな。巫女っていわゆるシャーマンだもんな。
A:あと、『シンゴジラ』は見た?
B:見たよ。こっちも面白かったよなー。『シンゴジラ』は完全に縄文映画だろ。
A:『シンゴジラ』は弥生映画だよ。
B:へ? すげえ縄文ぽかったような…。
A:『シンゴジラ』はひっかけ問題だからな。
B:なんだよ、ひっかけ問題って、そもそもお前が勝手に言ってるだけだろ! 説明しろよ!
A:いいか、この二つの映画、「弥生」と「縄文」で分けたけど、実はほとんど話の骨格は同じなんだ。
B:はあ? 何言ってんの?
A:いいから聞けよ。ざっくり『君の名は。』のストーリーを説明すると、東京で暮らす高校生の瀧くんと、田舎の町で暮らす女子高生の三葉が、なぜか時々入れ替わってしまい、不思議と友情のような恋のような連帯感が芽生えるんだけど、ある日を境に入れ替わることが出来なくなってしまう。瀧くんは入れ替わった時の記憶で見た景色を元に三葉を探しに出かけるのだけど、実はその町は3年前に彗星の衝突によって無くなってしまった町だということがわかってしまう…。
B:そうそう。こっからの展開がまたすごいんだよな。やべ、思い出したらまた泣けてきた。
A:なんとなく、『時をかける少女』と、『転校生』をほうふつとさせる展開だったな。人物の絵には好き嫌いがあるだろうけど、街や田舎の風景はものすごい綺麗で、見ていて気持ちが良かった。
B:だよな。新宿の風景なんてなかなかすごかったよな。
A:『シンゴジラ』は、突然東京湾からやってきた「ゴジラ」に東京の町が破壊されるという、もうおなじみのストーリーだ。
B:あっどっちも町が破壊される!
A:そう。この二つの映画は全然違う映画のように見えて、どちらも「理不尽で説明ができない巨大な何か」に人間が翻弄され立ち向かう話なんだ。ただ、対抗の仕方がそのまま縄文と弥生の違いになっている。
B:対抗の仕方?
A:縄文時代は自分たちを取り巻く自然に対して、「畏れ」を感じながら、生活していただろ。たとえ自然がどんなに理不尽な振る舞いにでようとも。自然は自分たちを取り巻く世界そのもので、「世界」はすなわち「神」と言い換えてもよかった。『君の名は。』は人の持っている「不思議の力」で彗星という「自然」や「神」の象徴に対抗しようとする映画だ。「人と人との結びつき」だったり「運命」だったり「祈り」だったり。正確には対抗ではなく、それを受け入れつつ被害を食い止めようとした。縄文時代「自然」や「神」は倒すべき存在ではなく、自分たちの世界そのものだったんだから。そういう点で『君の名は。』は「自然」や「神」に対する接しかたがものすごく縄文的なんだ。
B:確かにそう言われたら世界を倒そうとは思わないな。
A:逆に『シンゴジラ』はゴジラという「自然」や「神」の象徴を組み伏せようとする。人の持つ「科学」や「知識」や「国際的な団結」や「努力」を使って。これはやはり弥生から始まる農耕に似た合理的な発想だと言えるだろう。
B:彗星もゴジラも象徴的な存在ってことか。
A:農耕や牧畜が始まると徐々に自然と神は分けて考えられるようになる。ゴジラは自然でもあり神でもある存在だから、『シンゴジラ』が一見、縄文映画に見えるのはそのせいだろう。
B:もしかしたらゴジラがなんとなく悲しく見えるのは、ゴジラは、人との関係性の変化を嘆いているのかもしれないな。
A:『君の名は。』で彗星をあそこまで美しく描いたのは、「彗星」を借りて、自然の二面性を描こうとしたのだと思う。美しく、恐ろしい。それは縄文時代に人が自然に感じたものと同じなんじゃないかと思うんだ。弥生時代以降が自然に畏れを感じていないとは言わないけど、自然との対決姿勢を強めたことは確かだと思う。
B:なんとなく納得だけど、この二つの全く雰囲気の違う映画が同じ話ってのはビビるわ。
A:「理不尽で説明ができない巨大な何か」はそのまま3.11の記憶につながる。大きな自然災害に対してどう対応するかはおいそれと答えの出る話ではないけど、この二つの映画を見比べるとおのずと考えざるをえないよな。
正直に言って、映画としては『シンゴジラ』の方が個人的には好きだな、あまりにも大きな存在に対抗するちょっぽけな人たちという構図が、「町工場から宇宙へ」みたいなプロジェクトX感が出てていいんだよな。『君の名は。』もいいんだけど、すぐBUMP OF CHICKENがかかって感動させようとしやがるからな。
B:RADWIMPSだよ!いい加減にしろ!